傷が治るにつれて、若い武士は山へカモシカやクマをとりにいくようになった。
ところがある晩、武士は娘に「大変お世話になりました。傷も治していただきましたし、これ以上、長居するわけには参りません。父上や母上によろしくお伝えください。明日の朝夜の明ける前に、行かなければなりません。」と告げた。
急に別れを告げられた娘は泣きくずれ、何も言えなかった。いそいで母にその事を知らせると、「困ったことだ。しかしお前のお腹には、あの若いおさむらいさんの子供もいること。きっと帰ってくれるよ。もし心配なら、あの人の衣の裾に、この赤いキネシリの糸を縫いつけておきなさい。」と、赤いキネシリ玉(糸玉)を娘にわたした。娘は母に言われたように、そばに寝ていた武士の衣のすそに、そっと赤い糸玉のあしを縫いつけ、その夜は休んだ。
東の空が白むころ、娘はパッと目を覚ましましたが、すでに隣に寝ていたはずの武士の姿はなかった。あわてた娘はすぐに母を起こし、二人で赤い糸をたよりに吊り橋をわたり、集落をすぎ、大谷の方へと山を登った。大谷の奥、雨生沢までくると、糸は吉ヶ平の方へと入っていった。二人が糸をたよりに行けば、雨生沢の水源千古斧を知らぬ林の中、雨生ヶ池へと糸は消えている。
娘と母は、ただ呆然と雨生ヶ池の水面を見つめていた。すると一天にわかにかき曇り、黒雲が低く垂れ、水面は波立ち大蛇がぬっと立ち現れた。
「私はあのとき助けていただいたこの池の主です。ほんとうにお世話になりました。しかし、今朝ここに帰ってくる前に毒針を刺されたのでやがて、死んでしまいます。残念でなりません。娘さんのお腹には、私の子がいます。どうか大切に育ててください。その子の脇の下には、蛇のウロコが三枚ありますから確かめてください。」
と言うと、大蛇は姿を消してしまった。今まで薄暗かったあたりも明るくなり、水面も静けさを取り戻した。
子供は立派に成長し、後に勇名を轟かした五十嵐小文治だと言われている。
以来、この地では金物が禁じられ、金物を投げると大雨になると伝えられている。近郷の農民は、洪水が発生しないようにと雨生神社を建て、雨生大神を祭った。また、日照りが続くと雨乞いにも訪れた。そこから、雨乞ヶ池とも呼ばれている。
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